*不在の従兄弟、そして猫
木村さんの「手打ちそば」は、平成十五年十月の東葛座会に出され、十六年の新年号に掲載された。ケレン、ハッタリなどの類は、いっさい使わない、いかにも木村さんらしい、ジミなしかし味わいのある作品であった。
初見から私はこの作品に心ひかれるものを感じた。ただ惜しむらくは、主人公である従兄弟が、作品の中頃まで姿をあらわさないことであった。それが、物語の構成上、大きな欠点になっている。そこで私は「彼岸に従兄弟の家に行った」とすることをすすめた。これで前述の欠点は補正される。それだけではなかった。従兄弟の一言が入ったことで、物語の中頃まで姿をあらわさない彼が、語られない故になお深く、読者の心の中に意識され続けることになった。そしてその代わりに猫が出てくる。この猫の、いかにも猫らしい行為、十五夜のススキにじゃれつきたいという思いが、じつはそのまま不在の従兄弟の、少年時代の心情をあらわすことになった。ここは、作者白身が気づいていたか、いなかったのかはわからない。そのくらい微妙に、しかも優れた表現に、猫の存仔の意味が一変したのであった。 *猫に憑依した霊の切なさ
つまり作者の、あるいは読者である私の無意識領域で、猫は従兄弟に変身したのである。別の表現でいえば、従兄弟の霊が猫に憑依し姿を現わしてきたのである。
裏の田んぼでシジミとりをし、原っぱでトンボを追った子供時代の従兄弟の魂が猫の姿に宿って現われてきたのである。
しかし、かつてはあれほどに親しく無邪気に遊んだ訪問客の従兄弟圭介は、もうすでに四十代の大人の男になってしまっている。子供時代の心のまま、ともに遊びたいと思っても、自分の父親だったはずの男が、もう老境にあって、息子である猫を手で押しやって、そのそばから追いやるのだ。
猫はしかし(かつて子供時代の従兄弟がきっとそうであったに違いないように)一緒に遊びたいという未練心から、しかたなく廊下に飾ってある十五夜のススキにじゃれつく。
その切ない思いもまた、花瓶を倒すという失敗にびっくりして遂げられない。そしてそれは、後に判ってくる二十歳の時のバイクの事故を予言する。
その失敗のあと始末をするのは、圭介には叔母、従兄弟にとっては母親である人がしてくれる。バイクの事故で亡くなった時もあるいはそうだったのかも知れない。息子を失った悲しみをこらえながら、この現世でしなければならないさまざまな後片付けを母はし
てくれたのであろう。
「トカゲや蛇が好きで田んぼからとってきて、食べるのではなく、じゃれているの」
これは、そのままバイクに夢中になっていた息子への母親の述懐である。
そして、死んだ従兄弟自身にとっても、あのバイクの事故は、倒した花瓶のように、おのれ自身の驚きとしての運命だったのではなかったか。心ならずも突然自分に襲いかかった二十歳までの人生という運命。
従兄弟同士の少年達の、この世の楽園だったシジミとりや、トンボ迫い。そうした幸せは、人間に与えられるー瞬の夢である。――いさかいなど起きるとは考えも及ばなかった、二人の少年の母親達の言い争いで破れ去る。手土産に持って行った菓子折りさえも持
ち帰ろうとする母親の怒りに子供は翻弄される。母親は強引に息子の手を掴んで、楽園から出走するのだ。
かくして、無垢の幸せに満ちていた幼年時代は終わった。
バスから後ろを振り返ると、まだ幼年時代のままの従兄弟が、ススキの穂を持って立ち尽くしている。若いままに死んで、老いることを失った従兄弟の姿がそこにある。ありつづける。
「ゆっくりしていって、おそばを作るから」と叔母がいう。
このそばは、いわずもがなながら、この世の食事である。食べる度に少しずつ年老いていき、いつかは死ななければならないこの世の碇という魔法がかかった食べ物。人間は、――否、ありとあらゆろ生き物は、例外なく同じ魔法のかかった食べ物を食べ続けているのだ。そういう食事。
時はまさに彼岸。しかも十五夜と重なった彼岸の二日目。それを暦で調べたら、平成十四年秋の彼岸とわかった。その二日目は土曜日であったことも知ることができた。
切なくて美しい最上の短説である。
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