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短説批評
Criticism

茨城県北部の『艶笑小話』「カエルの鳴き声」から……

芦原修二

−第五回藤代短説講座(平成三年一月)座会要約より−

 春の田んぼで、カエルが「ゲロゲロ、ゲロゲロ」と賑やかに鳴いています。あれはいったい、どんな会話をしているのでしょうか。これは茨城県北部の美和村に住む長岡正夫さんが父から伝え聞いたという話です。美和村のあたりでは裸のことをデンコというそうです。そして、
「田んぼの若いオスガエルは『デンコで来(こ)、デンコで来。裸で来、裸で来』と鳴いているそうです。それにメスガエルがこたえて『どこでやんの、どこでやんの、〜〜』。そこでオスガエルが『どこでもいい、どこでもいい、〜〜』。この騒ぎをきいて舅のカエルがつぶやきます。『バカバカシッ、バカバカシッ、〜〜』」
 話はこれだけです。きわめて短い。だいたい口承文芸はこんなふうに短いことが肝要で、短くなければ飽きられます。
 ここで気をつけてほしいのはなぜ「バカバカシイ」のか、舅の気持ちのよってきた理由が説明されていないことです。すなわち原葵さんのいう「ストーリーはあるがプロットがない」という言葉を思い返してほしいのです。つまり、舅のつぶやきの理由を書けば、それは説明です。説明文ほど読者を退屈させるものはありません。
 ところで、ここのところで舅の気持ちがよく解るという方がおられたら、その方はもう人生をだいぶやってこられた方に違いありません。
 子供にはわからないでしょう。子供はおそらく「デンコでこ」というあたりを理由なく面白がります。
 そして十八、九の若者なら「どこでもいい」という気持ちを心底理解するはずです。
 この話には『短説』に対するいくつかのサジェスチョンが含まれています。世間は、舅の「バカバカシイ」という気持ちもわかるようでなければ、小説は書けないとしています。それも事実です。が、さらに「どこでもいい」というような情熱も作者には必要で、それがなければ、書くという行為は持続できません。


初出:「短説」平成3年(1991)3月号



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