利根川の民謡
〈下総は唄の国〉



地固め唄の歴史  試論


芦原修二


 利根川の河川工事でうたわれてきた地固め唄はいったいどんな歴史を持つものなのか。文献等の資料は、江戸時代に入ってからのものが若干あるのみである。しかも、その曲がどんなものであったかは完全な記譜法がなかったために、復元はきわめて困難である。ましてそれ以前の中世資料となればその困難さはますます高い。しかして柳田國男は「歌曲の自存力は歌詞よりもよほど強靱であって、少なくとも部分的には、かなり古いものが残っているだろう」(『民謡覚書』3)と述べている。この考えを、今日の民俗音楽研究家小島美子は「この指摘はおそらく正しい」と支持している(『柳田國男全集18』解説・ちくま文庫)。こうした指摘にそって、現在の千葉県北部から茨城県南部、つまり下総地方の民謡と、福島県相馬地方の民謡とを比較検討してみたい。とくにここでは地形搗き唄を中心に、その類似性と歴史的な背景を考え、鎌倉時代にまで歴史が遡る可能性のあることを推論してみたい。


@ 地固め唄
    石だこ打ちの唄
    結婚式の祝い唄
    元唄=石塚勘一
     (茨城県利根町押付本田)
1、おばばどこへゆく
  三升だる下げてヨー
  *ヨーホイヨーホイヨーイヤナー
   アリャリャンコリャリャー
   ヨーイトセー
2、嫁の在所によ
  孫抱きにヨー
  *ヨーホイヨーホイヨーイヤナー
   アリャリャンコリャリャー
   ヨーイトセー
3、頼みますぞよ
  皆様がたにヨー
  *ヨーホイヨーホイヨーイヤナー
   アリャリャンコリャリャー
   ヨーイヤセー


 以上は、利根町布川の石塚勘一が演唱したもので、利根川の築堤工事で石だこ打ち作業にうたったもの。同時にこれは、結婚式の祝い唄としてもうたわれた。なお*印を付したのは、利根川流域ではヤ声と称し、音頭取りが一人でうたうのに対し、作業する大勢の者が声をあわせて唱和する部分。たとえば「銚子大漁節」における「川口押し込む大矢声」(*註)の矢声がこれである。

 Aは同じく利根町立木の角田喜代が演唱した地固め唄。結婚した花嫁が地域の女人講に入る際の歓迎の祝い唄である。直接河川にかかわる仕事唄としてはうたったことがないという。同じ利根町でも、川に直接面していない立木からは、河川工事に参加するものが少なかったためであろう。


A 地固め唄
    女人講仲間入りの唄
    元唄=角田喜代、他
     (茨城県利根町立木)
1、エーめでためでたの若松さまはヨ
  *ハー ヨイヨイ
  枝も栄える 葉も茂るヨ
  *ハーヨーホイヨーホイ
   ヨーイトセー
   アリャリャ コリャリャ
   ヨーイトセー
2、エーめでた嬉しや願う事かのたヨ
  *ハー ヨイヨイ
  末は鶴亀 五葉の松ヨー
  *ハーヨーホイヨーホイ
   ヨーイトセー
   アリャリャコリャリャ
   ヨーイトセー


 Bは、千葉県白井市から印西市のあたりでうたわれていた地形搗きの唄である。これら三つの唄の近似性はテープで直接そのうたいぶりを聞いてもらえば明瞭である。


B 地形つき唄
    元唄=高橋定吉
     (千葉県白井市出身)
1、ハァー 頼む頼むよ
   コラセット
  皆さまがたによ ハーヨイヨイ
  ここが大事な アラョー
  床柱よ
   ハヨーイヨーイ ヨーイトセ
   アリャリャ コリャリャノ
   ヨーイトセ
2、ハァー お婆どこへ行く
   コラセット
  三升だる下げてよ ハーヨイヨイ
  嫁の在所へ アラョー
  孫抱きによ
   ハヨーイヨーイ ヨーイトセ
   アリャリャ コリャリャノ
   ヨーイトセ
3、ハァー めでためでたが
   コラセット
  たび重なりてよ ハーヨイヨイ
  こんどめでたで アラョー
  七めでたよ
   ハヨーイヨーイ ヨーイトセ
   アリャリャ コリャリャノ
   ヨーイトセ


 町田佳声は昭和10年(1935)頃から音楽学の視点から独自に民謡の研究を開始し、これはやがてNHKの『日本民謡大観』として戦後に完成する。Cはこの課程で昭和17年にNHKが録音したもの。利根川河口に位置する波崎町谷田部の人達がうたっている。これらの成果によって昭和19年には「関東篇」が刊行され、これには柳田國男も監修者として、その名をつらねる。
 @の地固め唄から突然左Cの土搗き唄に移っては、その差異ばかりがめだつだろうが、こうして順に聞いてくるとすべて地続き、縁続きの仕事唄であることが理解できよう。


C 土搗き唄
    茨城県波崎町
    昭和17年NHK録音
1、めでためでたが重なりまして
  *ハヨイヨイ
  エー門に七重の
  ヤハレしめを張る
  *アリャヨーイヨーイ
   ヨーイヤセ
  *ハコリャリャ
   ハコリャリャサーヨイトネ
2、鯉の滝のぼりは何とてのぼる
  *ハヨイヨイ
  アー命限りと
  ヤハレいうてのぼる
  *アリャヨーイヨーイ
   ヨーイヤネ
  *ハコリャリャ
   ハコリャリャサーヨイトネ
3、ヤーハノエー
  かわりますぞやヤーハノヘー
  *ヤットコセー ヨーイヤナ
  オヤかわりますぞや
  蕎麦屋の 丼 ヨホイトネ
  *アリャアリャノリャ 
   ヨーイトコヨイトコネ
4、この娘よいこだぼたもち顔で
  *ハヨイヨイ
  エーきな粉つければ
  なおよかろ ヤーイヤラ
  *ハヨーイショ
   ヨンヤラサノセー
   ヤイコラサ
  *ヤレノサーイ
   アレワサエーンヤーラ
5、咲いだ桜へなぜ駒つなぐ
  *ハヨイヨイ
  エー駒が勇めばコリャ
  花が散る ヤーイヤラ
  *ハヨーイショ
   ヨンヤラサノセー
   ヤイコラサ
  *ヤレノサーイ
   アレワサエーンヤーラ

 ここで、今度は、地理的に遠く離れた福島県相馬の土搗き唄Dと比較してみよう。類似性は、その歌詞からも曲からも明瞭である。


D 相馬土搗き唄
    福島県相馬市
1、ハァーアァーアァェ
  ここは大事な大黒柱
   *チョイ チョイ
  頼みますぞえ
  コラ皆さまに
  エーエンヤーレ
  サノヨーイサ ヨンヤラサーノ
  エーエンヤレコノセー
   *チョイ
  ヤーハモエーエンヤ
  コレワサ エーエンヤァーレ
   *ハ ヨイショ ヨイショ
2、ハァーアァーアァェ
  上げろもちゃげろ天竺までも
   *チョイ チョイ
  天の川原の
  コラはてまでも
  エーエンヤーレ
  サノヨーイサ ヨンヤラサーノ
  エーエンヤレコノセー
   *チョイ
  ヤーハモエーエンヤ
  コレワサ エーエンヤァーレ
   *ハ ヨイショ ヨイショ


 下総相馬と奥州相馬の民謡の類似はその歴史にかかわっている。浅野健二編『日本民謡大事典』(雄山閣)は、「相馬流山」についてつぎのように解説している。
「福島県原町市の近郊、雲雀ケ丘原を中心に行なわれる相馬野馬追行事に因む踊唄。「流山」は下総の流山(現千葉県流山市)で藩主相馬氏の旧領地。「野馬追」は相馬氏の祖、平将門が下総小金ケ原で行なった騎馬演習に起源を発したものという」
 ちなみに流山市と相馬市はこの唄が縁で姉妹都市となっている。
 また長田暁一・千藤幸蔵編著『日本の民謡』(現代教養文庫)は「相馬流山」について、右『民謡大事典』とほぼ同じことをのべたうえで「陸奥国行方郡中村に1321年(元亨元年)藩主重胤移封の際、旧地を忘れ得ぬ人が、中村地方の古い野良唄の節を転用して、愛情をこめて歌い始めたものといわれている」と記す。しかしこれには若干の疑義がある。移封したばかりの人々が、その土地の古い民謡の節を愛情こめてうたうのは不自然である。ここは、旧領下総国でうたっていたものの節にのせて、でなければなるまい。
 奥州相馬の地は、下総の相馬氏がその軍功によって頼朝から拝領した土地だ。その領地経営のため相馬氏は宗家、家臣団ともども二分してその半分を奥州に移住させた。
「新相馬節」の「遥か彼方は相馬の空かよ、相馬恋しや懐かしや」にも旧領下総国相馬に対する懐旧の思いがある。この曲は初代鈴木正夫の創唱した新民謡ということで、誤解されないでもないが、「相馬二遍返し」にも「相馬恋しやお妙見さまよ、離れまいとのつなぎ駒」の似た句があることを忘れてはなるまい。
 下総国相馬郡文間地区(現利根町)は相馬氏の重臣門馬氏や門間氏の出身地で、文間を名乗りたかったが、旧地に遠慮して字を変えたという。そして今日なおその子孫たちが、懐かしさのあまり訪ねてくる。こうした事を考えれば、これらの唄には、鎌倉時代からの歴史があるとみてもよいだろう。

(平成13年12月4日記)

*付録・カセットテープ(非売品。どうしても聞きたい方はメールして下さい
*矢声 本来は矢を放つとき「ヒョーッ」などと叫ぶ声のこと。利根川の復旧工事は、大名藩のお手伝い普請が多かった。武士の言葉が、作業唄に採用されたとも考えられる。


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制作・監修=利根地固め唄保存会理事・芦原修二

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