下総盆踊り唄 60年ぶりに復活!
この盆踊り唄は、下総の相馬郡や印西(いんざい)地方(印旛沼の西に位置する地域)に伝えられてきた古典的な民謡です。太鼓や三味線などの楽器は使わずに、踊り手の手拍子と矢声(*印)を伴奏にしてうたわれました。夜通し踊ることも多かったといいます。古い集落の寺の境内や、深い森にかこまれた古社のあたりから、歌声と手ばたきの音、それに人びとのさんざめきなどが聞こえてくる状況といったものを考えると、江戸時代に三味線が入って来る前の、つまり鎌倉時代や、室町時代の盆踊りとは、こういうものであったろうことを想像させます。
この唄の伝承者・高橋定吉さんは、十四、五歳からその音頭取りをつとめ、十九歳、つまり太平洋戦争がはじまって踊れなくなるまで、地域のアイドル歌手として活躍しました。それから六十有余年、平成十四年の今年利根地固め唄保存会の要請をうけて、この唄を同保存会の会員に伝授し、利根町が利根の河原でこの夏ひらく納涼花火大会の盆踊り会場で、60年ぶりに復活します。当夜は利根川の護岸工事の仕事唄と共に発表されます。この発表会では、古来の伴奏のないものと、三味線や太鼓の伴奏をつけたものと、二た通りの盆踊り唄が披露され、だれでも自由に踊りにくわわれます。覚えやすい楽しいものですから、輪にくわわって、前の人の動きにあわせれば、誰でもすぐ踊れます。
期日:平成14年8月17日 午後6時から
会場:栄橋下流河川敷(利根川堤防に階段状桟敷護岸が完成)
なお、矢声というのは本来、矢を射るときの掛け声で、それがこの下総地方では、仕事をする時の掛け声になりました。『銚子大漁節』にいう「川口押し込む大矢声」がこれです。
ここに示した歌詞の一〜二番は、高橋さんが伝えた元唄のうちから紹介するものです。また三番の歌詞は利根町や我孫子市ゆかりの民俗学者柳田國男の著作『民謡の今と昔』(昭和四年発表)に、下総の踊り歌として紹介されているものです。同書では「袖つま」と清音で表記されております。この盆踊りの所作にある左腕の下から右腕を伸ばすというのは、ほかの踊りにはあまりみられないもので、これこそがこの歌詞にいう「袖づま」をひく姿なのではないかと考えられております。伝承者の高橋さんも、この腕の下から伸ばした手で前の人の着物の裾を引いたりして、からかったとのべています。
そのほかの歌詞は今回、茨城県利根町で開催される納涼花火大会の盆踊り会場で復活することを考え芦原修二が補作した新作歌詞です。
*三味線の伴奏曲の作曲は伊達仙太郎さんです。
下総盆踊り唄 *印は矢声
一、ハァーおれとやべやべ *ハァドコヘヨ
布川の施餓鬼ヨーホイ
こよいコラ ひと夜は盆踊り
◎会場の地名を読み込む(伝承者註)。元唄は「浦辺の施餓鬼」
二、ハァー踊り踊りきて *ハァドシタガネ
踊らぬやつはヨーホイ
木仏コラ 金仏石仏
三、ハァーわしも若いときゃ*ハァドシタガネ
そでづまひかれヨーホイ
いまはコラ 孫子に手をひかれ
四、ハァー浦辺子供衆は *ハァドシタガネ
お太刀を抱えヨーホイ
こよいコラ 祭りの露はらい
五、ハァー利根の河童は *ハァドシタガネ
ねねこの河童ヨーホイ
馬のコラ 脚を引き相撲とる
六、ハァーお山筑波が *ハァドシタガネ
紅葉の錦ヨーホイ
西でコラ 富士山雪化粧
七、ハァー鬼怒だ小貝だ *ハァドシタガネ
利根川までもヨーホイ
銚子コラ あふれて海になる