利根川の民謡
〈下総は唄の国〉


岡山節の調査研究

利根地固め唄保存会


利根川の仕事唄になぜ岡山節が……


 利根川の堤防工事の仕事唄に、堤防の法面を細い棒で打ち固める「土羽打ち」という作業があります。この土羽打ち作業は、大きくわけると、「ならし」と「本打ち」の2つにわかれますが、その作業にうたわれた唄の曲数は10数曲、細かな差異も考慮にいれて数えたら15曲ほどにもなるでしょう。
 その中に「岡山節」とか「岡山音頭」、あるいは単に「おかやま」とよばれている曲があります。これは利根川の堤防工事に、今の岡山県地方が深くかかわっていたことを物語っています。

 岡山との関係を歴史にたずねると、次の3つのことが考えられます。
1)
江戸時代前期の陽明学者、熊沢蕃山との関係
 熊沢蕃山は岡山藩で河川工事にあたり、今日さかんにいわれている「山の森を守らなければ、河川を守る事が出来ず、海の産物も貧しくなる」というようなことを400年も昔に説いています。また参勤交代の廃止を論じたりもしています。こうした新しい考え方が幕府の恐れるところとなり、晩年は古河藩(茨城県古河市)に蟄居を命じられています。
 この蟄居の命で、表立った仕事はできなくなったようですが、今の総和町に蕃山溜(農業用水の貯水地)を築造したと伝えられていて、今にそれが残されています。また蕃山はみずから堤防工事の仕事唄をつくってうたわせたと、岡山や古河の地に語り伝えられています。

2)寛保2年の関東大洪水と西国大名の「御手伝い普請」
 寛保2年(1742)
の大洪水は、日本の歴史年表から落す事の出来ないほど甚大な被害を関東にもたらしました。その修復を幕府は西国大名に命じておこないました。このとき岡山藩は利根川上流左岸を担当しています。この地域が、岡山節が伝承されている地域の一部分と重なります。

3)明治以降の大改修工事と岡山人
 今回埼玉県を中心とした岡山音頭系の録音テープを提供して下さった亀ケ谷行雄氏は、その取材中、岡山なまりの役人がいたと、土羽打ち唄の伝承者が話すのを聞いたといいます。これもまた「岡山節」との関係を物語っています。


岡山節の分布地域からの考察


 前述の亀ケ谷行雄氏提供の録音テープ、それに利根地固め唄保存会がかねて独自に集めてきた資料を合わせ考察すると、「岡山節」あるいは「おかやま」などと呼ばれる土羽打ち唄の特徴は「エイトーナー、エイトーナー」という矢声と音頭の中に「おもしろや」という言葉がはいっていることがあげられます。この特徴と節の類似性をもって探していくと、岡山節系列の唄は、埼玉県大利根町、北川辺町、茨城県古河市、総和町、石下町、岩井市莚打、同神田山、千葉県野田市関宿など、古河、関宿を中心とした地域に伝承されていることがわかります。
 この分布地域を考えると、それは熊沢蕃山が影響を与えたと思われる地域とぴったり重なります。つまり古河とその近辺は熊沢蕃山が蟄居の形で晩年を過ごしたところでありますし、同時に当時の古河藩主は蕃山の教えを受けた一人でもありました。また関宿藩主も蕃山の教えをうけております。岡山節が、こうした地域に重なっていることは、興味深い事実であります。

 総和町の用水池が「伝蕃山溜」であるごとく、文書資料などで確認することはいまのところ出来ないのですが、岡山節が熊沢蕃山にゆかりがあることは、たとえそれが明治以降の伝播民謡であったとしても、岡山藩における河川工事の仕事唄は、熊沢蕃山の指導と影響下にはじまっているといえることから、すべて、そのはるかなルーツをたどれば、蕃山につながっているといえましょう。

 これらの事蹟を考え、利根地固め唄保存会では、2003年8月14日(木曜)、芦原修二理事、若泉耕平高校生会員/技能保持者、宮本淳史中学生会員/技能保持者を事前調査に派遣しました。高校生や中学生がこの事前調査に派遣されたのは、これが「伝統文化こども教室」(財団法人伝統文化活性化国民協会=会長・理事長=平山郁夫氏)という助成事業のひとつとして、実現されることになったからです。そして今回は茨城県総和町役場、同町大堤の鮭延寺の熊沢蕃山の墓、同町関戸の蕃山溜めなどを訪ねて、バス利用の際の道路事情、駐車場の有無などを確認しました。同時に、地固め唄の歴史を、現地でまのあたりに学んでまいりました。お世話になった方々に御礼申し上げます。
 この「伝統文化こども教室」については、別項をたて改めて報告することにします。

(2003年8月17日・芦原修二記)


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制作・監修=利根地固め唄保存会理事・芦原修二

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