Ashihara Shuji
芦原修二の短説逍遥
Textual Criticism

『短説逍遥』 (42/43)/芦原修二

吉田龍星「道程」論

*ある鼈甲細工職人の兄弟

 古田龍星さんの「道程」に出会ったのは、本年(平成十四年)九月八日に開かれた藤代日曜座金である。
 座会では“吉田さんの作品とは思わなかった”というような感想もきかれた。たしかに、この作品は、すだとしおさんのいくつかの短説や、米岡元子さんの代表作「風に乗って」などを思わせ、作者が誰かを想像させないところがあった。しかし点盛りを開いて、作者が確定してみれば、これは間違いなく吉田短説の世界であると納得できた。
 折しもその前月、藤代日曜座会は、すださんを特別講師として招待している。またその前々月は米岡さんを特別講師として招待していた。この特別招待にあたって、作者は他の座員のだれよりも深く二人の作品を読み込んでいたのだろう。そこから、自然湧出するように、この作品のイメージが出現したのだと私は思った。そして、「影響と創造」という、作品が生れてくる神秘的な道筋を私の思考は追いはじめた。
 古典を下敷きにして作品を生み出すことは、作品創造の常套手段である。いわゆるパロディー。この方法を私はあまり好まない。ひとにすすめたくもない。というのは、こうして出来上がってくる作品は概ね安直だかである。精神的怠慢を感じさせる作品も多い。原作の力に乗っかって、安直な川下りをしながら、その風景を借用していることを恥じていない精神の不潔さを感じるときさえままある。
 パロディーをやるなら、原作へのするどい批判がなければなるまい。原作の持つ哲学、人生観、世界観、それらが自分の人生に圧迫をくわえる存在として意識されていなければならないだろう。そうしたものへの止みがたい反発。挑戦。それがなければ、パロディーは存在意味を持たないと、私は思っている。
 そんなことをするより、多くのパロディーを追随させるような原作(オリジナル)を創造したいものである。
 と、いうような思いを込めながらも、この「道程」という作品には深い感銘をうけるのである。
 作者は、この作品をつくるにあたって、現実の苦い体験を何度となく反芻したという。作者はかつて某市役所で福祉関係の仕事をしていた。そこで出会った兄弟がいる。兄弟は東京の下町で腕のいい鼈甲細工の職人として知られていた。しかし時代が変わった。自然保護の観点から鼈甲の輸入が禁止され仕事がなくなり、郊外に移住せざるを得なくなった。
 作者が仕事柄、その兄弟の住まいを訪ねると、家の中はゴミであふれていた。ゴミの中には、兄弟が大事にしてきたのであろう鼈甲の材料が無造作に混じってもいた。
 その兄弟が餓死し、あと片付けを大家から市の福祉課が要求され、作者は担当させられた。
 そのとき、兄弟が、そのゴミの山に残した思いがどんなものかを推測したり、ゴミを仕分ける分別もかなわず、鼈甲の原材料ともども、ただもう焼却ゴミとして市の収集車に投げ込まざる得なかったという。その仕事で感じた心の痛みがこの作品の核心だと作者は語っている。

*自分の中に原因をみる苦悩

 吉田龍星さんのこの作品は、米岡元子さんの「風に乗って」を思わせると先に書いたが、両者には、徹底的な差がある。哲学の違いだといってもいい。この作品は、遊びを第一義に楽しむ種類のパロディーではなくて、批判し対立する。
 米岡さんは、自立したい女性の願望を風に乗って飛ぶことで象徴した。そして夫も息子も説得し得た。しかし、テレビアンテナを固定している針金の切り端にスカートを引っ掛けて飛び損ねる。このアンテナを固定したのは誰だろうか。私は一人の読者として、そこまで書いてほしいと思ったが、結局作者はそこを書かずに仕上げている。が、いずれせよ、作者の飛行をさまたげているものは他者だ。そこが吉田さんの「道程」とは徹底的に違う。
 吉田さんの作品をもう一度読みかえしてみよう。本来持っていた羽を広げられないほどにゴミを抱え込んでしまったのは、主人公自身の生き方だ。飛べない原因を吉田さんは自分の内面にみすえている。それはそのまま「風に乗って」への批判でもある。「他者だけが理由ですか。自分は理由になっていませんか」そこに吉田さんの苦悩があり、この作品の魅力がある。概していえば、これは男性の持つ論理であり、哲学なのでもあろう。


初出:「短説」平成14年(2002)9月号〜10月号



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