Ashihara Shuji
芦原修二の短説逍遥
Textual Criticism

『短説逍遥』 (28/29)&論席(特別寄稿)

芦原修二「トンノクソ」自作自解のこころみ

「トンノクソ」を読んで/吉田龍星


『短説逍遥』28

*自作自解のこころみ/芦原修二

 自作を解説することには抵抗がある。一般にもそう考えられているようだ。実際、自作自解はマイナスが多いように思う。作品の解釈など、読者の数だけあっていいのに、作者が決定的にそれを限定してしまうことになる。そうは思うものの、昨夜突然自作をとりあげてみようと思いつき、いまはその思いから離れられなくなっている。
 かくて、禁忌の自作自解をこころみてみる。であれば、少なくても自負ある作品を選ぶべきであろう。そう内心は主張しているのだが、結局選んだのは、連説「人体記」のうちの「トンノクソ」という作品になった。理由はこれが、いまこの時点で私の一番新しい作品だからである。
 この「人体記」シリーズの発想が生まれたのは、平成十二年三月十九日の早朝であった。眠りから覚めてぼんやりしていたとき、人体について書いてみよう、と、突然思いついた。そして、どんなものが題材になるだろうかと考えはじめたら、起き上がるまでに六十九の項目がいちどきに立ち上がってきた。それを枕もとに置いている創作帳に書き込んだ。
 この「トンノクソ」の発想はそのうちの三番目に記してある。


初出:「短説」平成12年(2000)12月号(通巻185号)

論席(特別寄稿)

「トンノクソ」を読んで/吉田龍星

 十二月号「短説逍遥」中の作品「トンノクソ」は最高でした。そのことをどうしても今世紀中にお伝えしたかったので失礼ながら手紙を書きました。
 何がどう最高だったかと言っても、小生の弱い頭脳と下手な嗜好で感じたものの間には随分と隔たりがあるのかも知れないのですが、作者が冒頭にお書きになっていらっしゃる様に【読者の数だけ解釈がある】という言葉に助けを借りて申し上げることにします。勿論解釈などという事ではなくただ単に感動した事実をお伝えしたいということです。

「トンノクソ」という言葉を覚えてはいません。或いは別の言葉だったかも知れません。でも、幼い頃確かにこの遊びをしたのを覚えています。何人かで手首の内側を擦って少し熱くなったところで匂いを嗅ぐと、確かに鶏のあの匂いがしました。その何たる不思議なこと! いい匂いではちょっともないのに、いや寧ろ臭くて嫌な匂いなのに、その行為に夢中になっていました。どうしてなのでしょう? その答えを四〇年近く経って初めて、この作品が明らかにしてくれた気がします。
 それは秘められた部分の匂いなのです。人間にはいろいろな匂いがありますが、冷静に考えたら決して芳香とは言えません。従って香水を振りかけたり風呂で清めて清潔を保ったりするのでしょうが、それでも体臭というものは確かに存在して消えることはありません。他人の体臭ばかりでなく自分の体臭が嫌で堪らないと思う事は思春期の少年や自己臭症の人でなくてもあるでしょう。いや臭うのはご免だという一般的常識が昼間の世界を支配しているのが現実ではないでしょうか。しかし、そんな悪臭を愛おしくて仕方ないと思う場合がある事に気がついたのです。それは、悪臭を発する相手に性愛的感情を抱いている場合です。勿論フェチ的な人であれば匂いから逆にそれを発する人間を無差別的に想像するのでしょうが、思い描いた人物に対して性愛的感情を抱くとすれば同じ事であると思います。そしてその人物にまつわる臭さが何かの状況を通じて脳裏に一度焼き付いてしまうと、ついには匂いだけでその行為や感覚を思い出し限りなく興奮してしまう。こういうのを“すり込み”と言うのでしょうか。
 同じ様な現象は音楽や食べ物でもありますが、ことセクスとの関わりにおいては好みは別として臭さくなくては絶対に興奮しないのではないかと思うのです。すなわち悪臭が人間をこの上なく官能的にさせる事実が昼間の世界とは裏腹に夜の世界を支配している訳です。しかし、その事が小生の場合どうしても一致しなかったのです。例えばポルノグラフィーや小説の中にそうした表現があって想像をどんなに逞しくしても身につまされる程の興奮に包まれる事はありませんでしたし、場合によっては理解に苦しんでいたのです。
 それが「トンソクソ」を読んだ瞬間体感的に理解出来て小生の中で回路として繋がり、つかえていた興奮が吹き出して来たのです。
 土台下の土を固める作業は男も女も入り混じり、祭りの様な光景だったのでしょう。
 モンケンがどんなものであるのか碓認していませんが、大地に向かって何度も上下する動作は天と地の交合に感じられます。そして仲立ちをする男や女の体臭や汗は、そのまま性器から溢れ出る愛液であるのに違いないのです。おそらく「イエ」は、古代からごく最近まで天と地の境目にあってその申し子である人間を宿し、暖かく包み育てると言う役割を担った子宮の様な存在という認識があったのではないでしょうか。従ってこの単純とも思える上下運動を繰り返す労働の中に、人々は自分たちの性の交わりを想像した筈なのです。
 父親が誘ったのもイニシエーションへの導入の様で何か秘密めいています。女に言われるまま一緒に綱を引く場面は、本当にその初体験を連想させます。伸夫は無意識の内にそれを感じ取っている気がします。女は明らかに意識していて年増の余裕で少年の心を弄んでいる。労働の合間にこんな悪戯まがいのことから開花した性の方が、今時の性教育と称するものより何倍も奥深くて膨らみのある事でしょう。小生はこうした時代に生まれたかったと常々思う次第です。これは想像ですが、地下足袋を脱ぎ筋肉をもみほぐす仕草は着衣を脱いで肉体を愛撫してもらいたいという意志の現れでしょう。そして、指の股。これはまさに性器が存在する股間の代理であるに違いなく、指間にたまった垢を伸夫に嗅がせるという行為は、従って自分の性器の匂いをこの無垢な少年にすり込ませる、サディスティックでエロチックな行為です。或いはこう読むことも出来ました。伸夫は実際にこの親類の女に誘われるままにセクスをしていた。そして行為の激しさと満足の証として快く疲労した肉体と股間に張り付いた愛液のカスを伸夫に突きつけたのです。小生は、読みながら伸夫の嗅いだ匂いを同時に自分の脳裏に刻み込んだような錯覚を覚えました。伸夫はこの時点で安全弁をこじ開けられ、大人の世界に吸い出されたのです。それはいやが上にも労働と快楽が結びついた形で五感に染みついたのです。女の足の指間にたまった垢の匂いを脳の中で反揚しながら、小生は自身の二十五年以上に渡る上滑りで脆弱な性生活のあり方を反省した次第です。何せ、それは大地に根ざしていないネガティブで一方的な物でした。
 さて、この女と伸夫をとり囲んでいた大人たちも、おそらく暗黙の内に二人の行為を観察し、了解していたに違いありません。そしてほどなく、大人入りのウラ儀式は秘かにとりおこなわれた事でしょう。しかしながらムラにおいては、周知の秘密なのです。少年はこれによって昼間の世界では大人として労働の担い手としての義務を負わされることになり、一方ではその補償として夜の世界における甘美な快楽を味わう権利を約束されるのです。大人社会の入り口に立ち淫靡な匂いを味わってしまった少年にとって「トンオクソ」の匂いはもはや神秘でも淫猥でもありません。身体の奥深い場所に、もっと脳髄をくすぐる悪臭が潜んでいる事を知ってしまったからです。そしてそれを引き出す方法も……。
 一方、未然の少年たちにとっては「トンノクソ」遊びは、多くの秘密遊びの肉体の中に大人の甘美な快楽を見いだすための誘い水の意味があったのではないでしようか。

 透明さと個別化そして契約が昼間の世界を支配する疑似西洋的現代日本社会において、こうした遊びとその延長線上にある儀式めいた行為が地域杜会から姿を消し、大人社会への円滑な吸収が図られない状況は、悲劇としか言いようがありません。この数十年の間に、そんな風に変えられてしまった感があります。見事に解体と消滅は成功したのです。
 現代人が悪臭を避け寧ろ見かけの芳香のみ或いは無臭を求めてやまないのは、もしかしたら大変な危機かも知れないと考えてしまいます。キレイ事だけで、オトナになる裏遊びがない子供社会。そして社会参加を促す労働への仲間入りとそれを補償する淫靡なイニシエーションという旧システムを放棄させられ、生と性の独立と一致が必要な時期になっても、それを個別的にしか認めない、否、認めることもしない現代の大人社会はあまりにも頭でっかちすぎてバランスを失っているような気がします。
 心と身体がバラバラになつてしまいそうな少年たちが「トンノクソ」遊びを知って大人に混じって土台石の下を突き固める事ができたのなら、その分裂を避けられるのにと思います。小生の様に生と性が一致しない人間の製造は、単に偶発的な現象にしてもらいたいものです。

 とりとめもなく興奮するままに書いてしまいました。お許しください。新年号に掲載される自作自解を心待ちにしています。


初出:「短説」平成13年(2001)新年号(通巻186号)

『短説逍遥』29

*十三年の時をかけた満足/芦原修二

 かつて「虫類記」を書いていたときの方針は、この世にいない虫をあたかもいるように描くこと。その周辺に配する人物は、現実にいてさまざまな交流があった人物を以てそのイメージの素とする、というものであった。
 それに対し「人体記」は、人間の体の持つ不思議で奇妙なところを、事実にもとづいて書き、それに配する人物は想像力を動員して造形するというものになった。この発想が思い浮かんだとき、題材は、せいぜい十いくつかのことだろうと判断した。そして、こういうこともある、こんなこともあった、とノートにメモをはじめた。するとたちどころに五十件をこえる事柄がノートを埋め、われながら驚いた。
 それらの中から最初にとりあげたのが「指」である。が、人体となると、人前では話題に出せないような所がある。それを書けるだろうか。しかしそれを書かずに人体を書いたことにはならない。それで二作目には思い切って「恥垢」を題材にした。
 周辺に配する人物は想像力で、とはいっても、誰れ彼れとなく実在者のイメージが滲み出してくることはさけられない。が、原則として想像力によって人物を造形する。この方針によって、現実のモデルに発想を縛られない自由を私は得た。つまり、モデルがいても、それは私の心の中でデフォルメされ、新しい別の人生を生きてくれる。この「トンノクソ」に出てくる少年伸夫は、私自身の体験に重ね合わせた入物であるが、私などとは違って、ずっと魅力的な少年になってくれた。
 人体の奇妙さを、この作品では二つ使った。一つは長時間労働を続けていると足指の間にたまってくる垢のこと。もう一つは手首を熱くなるまで擦りつづけると鶏の糞の臭いが生じてくることである。この鶏の糞の臭いを嗅ぐ遊びが、わが故郷の子供たちの間には遠い昔から伝えられてきていた。「トンノクソ」とまじないの文字を書くのもそのままである。
 ところで足指の間の垢、これは土方仕事をよくやった私白身が、中学生から高校生のころ、ずいぶん見たり嗅いだりしているのだが、もし、この作品を書かなかったら、終生忘れたままにするところだった。そしてじっさい、どんな状態であの臭いを嗅いだのか、いまなお思い出せない部分がある。
 土台下を固める「土つき」は、中学一年生くらいの時に、この作品に書いたとおりのいきさつで体験した。そのとき、もっと長くこの仕事をしてみたいと思った。それが四十年ののち、故郷の町で「地固め唄保存会」の結成を呼び掛ける情念に結びついてくるなどとは、その時思いもしなかった。
 保存会が結成されたのは平成元年のことだから、以来十三年になる。これは楽な仕事ではない。むしろつらい十三年であって、これからもつづく。しかし、私は原稿用紙二枚のこの作品が仕上がったとき、十三年問のすべてが報われたと感じた。特に伸夫が「自分はこういう女と結婚すると確信した」の行が現われてきたとき、私は、このうえない人生の充足を味わっていた。
 そして書くということは、こういうことなのだと納得し、かつ、なんという大きな代償を要求するものなのか、と長嘆息もしたのだった。


初出:「短説」平成13年(2001)新年号(通巻186号)



短説逍遥(目次)前の評論〈短説の会〉Official Web Site HOME短説論/作品批評作品「トンノクソ」次の評論2011.6.25-2023.11.7

the tansetsu
Copyright © 2000-2011 ASHIHARA Shuji, YOSHIDA Ryusei. All rights reserved.
短説の会