Ashihara Shuji
芦原修二の短説逍遥
Textual Criticism

目次
はじめに 金子敏「柵を越えて」論 岩谷政子「背後霊」論
糸井幸子「三角クジ」論 桂千佳「女ひとり」論 有森望「珠子」論
向山葉子「盆まつり」論 園田やよい「その女」論 石川正子「傘」論

芦原修二「トンノクソ」自作自解&吉田龍星の読後評

川嶋杏子「立場」論 船戸山光「カルガモ」論 吉田龍星「道程」論
根本洋江「山釣り」論 藤森深紅「サンルーム」論 木村郁夫「手打ちそば」論
星子雄一郎「視線」論 西山正義「豚」論 神渡川l雪彦「クラゲ」論

『短説逍遥』 (1)/芦原修二

はじめに


 ご愛読いただいた『短説提唱』を(平成十年)三月号まででひとまず終了します。これまでの分は、充分に手をいれ、かつなるべく早い時期に一冊にまとめて出版することにします。
 そして今月からは新しい企画で、新たな出発をすることにしました。題して『短説逍遥』。短説に描かれた世界を気ままに歩いて、その世界を楽しんでみようというものです。
 ことし(平成十年)は短説が始まって十三年目になります。この十三年問、じつにさまざまな短説が、さまざまな人によって書かれてまいりました。
 まだこの世に短説と呼ばれる形の文学作品がなかった十三年前のことを思い出します。そのとき、いつかはきっと、こういう楽しみが存在するようになるだろうと予感し、期待したことが現実になったのです。
 つまり、短説作品を読んで、その描かれた世界について人と語り、論じ合い、その行為の中から、自分自身を再発見するというスリリングな時を持ちたいと思ってきました。
 言いかえれば、短説が真の意味で読書の対象となりうる日の到来を、私はずっと待ちわびてきたわけです。それが、もうできるのではないかと感じているのです。そこで、思いきって、実験を開始することにしたわけです。
 現時点の計画では、毎月一篇の作品をとりあげ、その作品から受けた感動を論じ、技巧に触れ、触発されて出てきた妄想を、自由にくりひろげていって、いろいろと考えてみたいと思っています。
 それが何か月つづけられるでしょうか。際限なく継続できるほど、短説は豊かな世界を構築しているでしょうか。あるいは一、二回で実験を中止しなければならないほど、貧弱なものでありましょうか。少なくとも一年は充分つづけられるという見込みをもっての開始ではありますが、さて、どうなるでしょう。
 私の、理想としての短説のありようは、さまざまな思いを誘発する触媒のような作用を持っていてほしいということであります。そして、作品について語られたものを読むことで、短説作品、それ自体がさらに面白くなっていくこと。しかし、それでいて、そのような外側で語られたものに関係なく、作品がなお独立して存在し、はじめてその作品に接した人々に、それぞれの思いを語らしめてしまうようなありようです。
 したがって、私がこのシリーズで語っていくことは、決してその作品に対して、何かを付着させてしまうようなものであってはならないと思っていますし、またそんなことは、ありえないでしよう。三島由紀夫は『遠野物語』のある一篇について、たいへん面白いことを書いていますが、それは決して原作自体に何物も附加してはいません。そのようにあるだろうと思うのです。しかし、それを読むことは楽しいというようなものを書ければと願っています。


初出:「短説」平成10年(1998)4月号・通巻153号



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