Ashihara Shuji
芦原修二の短説逍遥
Textual Criticism

『短説逍遥』 (66/67)/芦原修二

神渡川雪彦「クラゲ」論

*思考の産物、いや……

 神渡川さんに筆名の使用を提言したのは私である。どんな筆名が考えられるのかと、これも楽しみにしていたら「神渡川雪彦」であった。
 私が筆名を提唱したのはわけがあって、氏がどうも現実の仕事から自由になれなくて、窮屈をしていると感じていたからである。
 文学作品は、人間の内面にまで遠慮なしに踏み込んでゆく。内容によっては仕事柄書けないことも多い。また企業秘密になっているようなことなら絶対に小説世界にも持ち出せない。公務員ならもちろん常識を逸脱したような作品も書けやしない。書いても発表できない。そこに迷いが生じる。しかし、人間の本当を書こうとすれば、いずれも飛び越えなければならないハードルである。そういう不自由な心を作品の行間から感じとっていたからであった。
 ところが、筆名を用いて勢いよく発表し出した作品は、私の予想をまったく裏切ったもので、方向がまったく違うと思った。そこには意外にも春が来た菜の花畑で、モンシロチョウがひらひら舞っているような世界であった。
 しかしそこにのびのびした自由がみえる。
 これはいったいどういうことだろう。
 私はびっくりしながら、神渡川さんの思いをたずねあてようと眼を喝と見開いて毎月作品を読んできた。
「ひとより半歩先を…」と私は作品の条件として誰にも求めてきた、ひとより三歩ぐらい先に行っていてもいい。その場合は、世に売れるとはかぎらないが、私はそれもきっと見破って見せようと腕こぶしを固めていた。
 それがすっとはずされたような感覚が残って、でも待てよ、と何度つぶやいたことか。そして、そこに神渡川さんの意志をも感じた。
 しかしてこの「クラゲ」のなんという自由闊達さ。で、私は気が付いた。
 現実におびただしい禁圧を持って生活しているということと、この自由闊達さとは相違していない。つまりのそ息苦しさから飛び立つ翼を筆名に象微せしめて穫得していたのだ。それが想念に自由をという翼だったのだと思った。 

*クラゲの種まき

 日本海を中心にクラゲが大発生したということが昨年の大きな話題であった。そして今年の暖冬である。地球全体が奇妙なかじ取りを受けてその航路が妙な方向へ動いているように見える。どうもこれは地球でー番大きな国であるアメリカの政治的方向に誤りがあるからではないのか。そのアメリカにべったりとくっついてモノを申してきた日本の総理の発言もオベンチャラといわわるべき類いのものではなかったか。そして変革の思想とやらで日本をミスリードしたのではないのか。アメリカが戦争に参画すること自体すでに怪しい所業であって、さらにあの京都議定書に署名しなかったことは、大国の我が儘であったのではないか。アメリカにはすでに政治の理想が欠けている。そのアメリカにべったりくっついてる日本のかじ取りの怪しさもいまや歴然としている。さあ、これから日本はどうするつもりなのだ。
 などなどと考えていたら、神渡川さんのこの海洋生物学者のプラコット博士なる人物、なんとクラゲは何もないところから出現するという珍説を披歴してくれた。
 この展開を読んでいたら、現代は政治のデタラメ、学問のデタラメ、哲学のデタラメが氾濫し、そこから生じてくる、たとえば「女体機械論」といったものも、これは出て来て当然という思いがしてきた。そしてこれを「プラコット理路の展開」と各づけてみた。
 こうした世界のゆがんだ流行を、笑い飛ばそうとすろ精神、それこそが神渡川さんが獲得されようとしたものの「本質」だったのではないか、と。私にはそう思えた。
 そこで、ちょっと質問。プラコットなる人物の「博士号」は「ハカセ号」それとも「ハクシ号」? ここは多分、問違いなく「ハカセ」なんだと、私は断定する。つまりこの世にないが人口に膾炙する「ハカセ号」にふさわしい大発見こそがクラゲの誕生論なのだ。
 さて大変。
 私はこの評論をどっちに進めて行こうとしているのか、この行まで書いて来て、突然舵を失ってしまったように呆然とした。困った。ジーンズの鍵ボケットを探したが舵がない。このごろ小銭でやたらふくらんでいる蝦蟇口も探したが見当らない。年のせいか、このごろは忘れっぽいのである。何を書ことしていたのかを忘れるなんて、かつて経験したことのない失態だ。そこで「困る」とばかりに、悪い癖で頭を掻いた。すると何と! フケが落ちて、キーボード中からしゃぼん玉のようにクラゲが生まれてきた。見付けたぞ。クラゲは人間のフケから生まれる(盗作!)。
 今年は年末から正月にかけてあまりにも忙しくて、パソコンの前に坐りっぱなしで仕事をしつづけた。そしたらきょうのテレビ「ないないガッテン大発見」で、坐りっぱなしの足はむくみ、固まった血が血栓をつくり、脳硬寒の原因になるという……ご発表である。サア大発見だ。これからは血流の結滞防止に足のトレッキングと背伸び運動を怠らぬようにしなけねばならぬ!
 博土が呵々と笑いながらクラゲを生み出したように、私もアッチ、コッチと、引っかき回して評論を一本仕上げたようである。
 しからば、私も呵々と大笑し、筆を置いて退散することにしよう。
「ゴメン!」と(クラゲが飛び込む水の音)バション! !悪党……。
 今は、ユーモアこそが最大の武器だ。


初出:「短説」平成19年(2007)1月号〜2月号



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